式町水晶の生い立ち

式町水晶(しきまちみずき)さん(21)をご存知でしょうか?

 

式町水晶さんは脳性麻痺を克服してプロになったヴァイオリニストです。

 

式町さん本人の努力はもちろんですが、母の啓子さんの我が子に対する深い愛情が彼を支え続けたことは言うまでもありません。

今回は、式町水晶さんの生い立ちや母の啓子さんに焦点を当ててみたいと思います。

 

式町水晶の生い立ち

 

式町水晶さんは、1996年10月28日北海道の旭川市で早産で生まれました。

 

母親の啓子さんは、医師から早産で生まれた未熟児は、脳や目の障害が必ず出ると言われ大変心配されたようです。

 

未熟児で生まれた水晶さんの体重は、わずか1836グラムしかありませんでした。ちなみに家の長男は3600グラムあったのですが、その半分しかありません。本当に小さいと思います。

 

水晶さんは、生まれて3日間は生死の境をさまよい、そのうえ重い黄だんの症状も重なり、普通だったら1週間で退院するところが2か月間も掛かったと言います。

 

無事に退院できたものの、1歳のころ斜視の症状が現れ手術をすることになります。手術は成功し母啓子さんもほっとされたのです。

 

しかし、歩き出すとよく転ぶようになり、診断の結果は早産による小脳の発達障害で、小脳の大きさが普通の半分以下しかないということがわかりました。

 

その後、東京に移るのですが3歳の脳性麻痺(小脳低形成)と診断され、脳性麻痺による両上肢機能障害で6級、両下肢機能障害で4球の障害認定を東京都から受けています。

 

式町水晶のヴァイオリンとの出会い

小さな世界

音楽の才能に気付いた母親

母親の啓子さんは、水晶さんが言葉を覚えたての1歳頃、ディズニーの「小さな世界」を歌うのを聞いて、音楽の才能があると思ったそうです。

 

母親の直感ですが、すごいと言わざるを得ません。それに子どもの将来を考えると何とかして一人でも生きていけるようにと必死だったのではないでしよか?

 

そして、病院のリハビリのほかに音楽療法の「リトミック」教室やピアノ教室に通わせています。

 

4歳になると、指を動かす訓練のためバイオリンを習わせています。

 

良き師との出会い

 

6歳からは、ヴァイオリニストの中澤きみ子さんに師従します。中澤さんは根気良く教え、硬直して弦まで届かなかった指も動くようになります。今でも中澤さんは、水晶さんの一番の理解者だということです。

 

11歳からは、中西俊博さんに指導を受けます。その指導方法は独創的で「脳と筋肉の意識をつなげる」ことに重点を置き、3時間のレッスンの間「ポップス」にあわせてステップを踏むだけでヴァイオリンを弾くととは無かったようです。

 

手のぎこちない動きを克服するために、コンニャクをつかむ練習をくりかえし、うまくつかめるようになったら、今度は木綿豆腐をつかむ練習をしたということです。

 

その結果、指がスムーズに動きヴァイオリンの音色がきれいになったということです。

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小学校時代

学校生活は病気との闘い

小学校は肢体不自由学級に入り車いすで生活しています。歩くことは出来たのですが転ぶと危ないからという配慮からだそうです。

目も視野の下側が見えにくくなるという病気もあり盲学校へ編入したり、また戻ったりしたようです。

 

慰問演奏会から自信を得る

水晶さんは、自分は障害者と言う劣等感を持っていたということで、唯一ヴァイオリンを弾くことだけが、心の安らぎだったようです。

 

母親の啓子さんは、そんな様子を察したのか水晶さんの演奏を多くの人に聞いてもらいたいと、刑務所や医療施設に慰問演奏を願い出ます。

 

水晶さんは、演奏を褒められることで自信を取り戻して行ったということです。

 

小学校でいじめにあう

6年生の時、慰問演奏が地元の新聞に取り上げられ、学校で表彰されます。

これを快く思わない生徒から悪口を言われたり、トイレの入り口に置いた車いすを隠されるなどのいじめにあったと言います。

このようないじめにあい水晶さんは、不登校になってしまいます。

 

この時、健常者をヴァイオリンで見返してやりたいと思い、12歳で初めて「孤独の戦士」と言う曲を作っています。

 

「孤独の戦士」というタイトルに当時の水晶さんの気持ちが表れているようですね。

 

東日本大震災が転機に

中学生の頃の体調は、あまり良くなくぜんそく、高血圧、胃腸炎で入退院を繰り返し、手足の障害も進んだという辛い時期を過ごしたようです。

 

中学校3年生の時、2011年3月11日に東日本大震災が起きます。

 

そして、6月に福島県二本松市で、8月に岩手県陸前高田市で演奏会を開きます。

演奏会を喜んでくれる笑顔に水晶さんは、逆に力をもらったのかもしれません。「人の役に立つ演奏をしたい」という思いが強くなると同時に、体調の方も良くなっていきます。

 

高校生になると、車いすなしの学校生活を許可されます。

 

水晶さんは、体を鵜が貸すのが大好きだと言います。

ジョギングやジムで筋トレに励みジョギングでは5キロ以上も走れるようになったということです。

やはり、運動の効果はすごいものがあり、とても障害があるようには見えませんね。

 

健常者への敵意からお互いの理解へ

健常者をヴァイオリンで見返してやると言う敵意も、東日本大震災の演奏会で人々の喜ぶ笑顔を見て「人に役立つ演奏をしたい」という思いに変わって行きました。

 

そして演奏する機会も増えていったようです。

 

そしてある演奏会の後、男の子から「みっくんみたいなバイオリニストになりたい」という手紙を花束とともにもらいます。

 

それを見た水晶さんは、「健常者と障害者の壁を作っていたのは自分ではないのか?」、「お互いの理解が深まる演奏をしたい」という思いに変わって行ったと言います。

 

プロデビュー

式町水晶さんは、16歳の時プロデビューしています。

 

2015年3月には、宮城県仙台市で行われた第3回国連防災会議では、TSUNAMIヴァイオリンで「花は咲く」を演奏しています。

 

ちなみにTSUNAMIヴァイオリンは、東日本大震災の津波で流れ出した流木から作られたヴァイオリンということです。

 

演奏も魂が洗われるような演奏だったようで、各国の代表者も演奏を聴き入ったといいます。

4月11日はメジャーデビューアルバム「孤独の戦士」発売を記念してコンサートが開かれました。

 

これからも、「健常者と障害者がお互い理解し合えるようなコンサート」を開催してもらいたいと思います。