荻野目洋子が再ブレイクして引っ張りだこ
荻野目洋子さん(49)は、1986年から1989年まで「日本レコード大賞」の金賞を4年連続受賞し、紅白歌合戦にも5回出場した引っ張りだこのアイドルでした。
しかし、2001年に結婚されてからは、芸能界をお休みされていたようです。
私は、荻野目洋子を見かけなくなったので、てっきり引退されたものと思っていました。
最近は、すっかり荻野目洋子の事は忘れてしまっていたのですが、最近たまたまテレビで見かけ懐かしく思っていました。
それと同時に、荻野目洋子さんはなぜ?テレビに出ているのという疑問が湧きました。
でも、その理由は直ぐに分かりました。
荻野目洋子さんは再ブレイクを果たし、いまや引っ張りだこの状態と言います。
ではなぜ、再ブレイクを果たしたのでしょうか?
荻野目洋子の再ブレイクの理由は?
あなたはご存知だと思いますが、大阪の登美丘高校のダンス部が、荻野目洋子さんの代表曲「ダンシング・ヒーロー」(1985年)に合わせて踊る「バブリーダンス」がユーチューブにアップされ、わずか1ヵ月の間に900万回以上も再生され話題となりました。
その後、平野ノラさんとの共演もあり、荻野目洋子さんにも注目が集まりました。
荻野目洋子さんも登美丘高校のダンス部と共演し感無量だったという事です。
「ダンシング・ヒーロー」も何と32年ぶりにCD化されています。
荻野目さんにとっては、まさに降って湧いたような話で、本人もきっと驚かれ感謝されたと思います。
荻野目洋子さんご自身も「いろんな方のご縁がつながって今のムーブメントが起きている。細胞が活性化されます。ありがとうございます」と発言されています。
荻野目洋子が日本レコード大賞の特別賞を受賞
荻野目洋子さんは、登美丘高校ダンス部とともに特別賞を受賞しました。
「32年ぶりに『ダンシング・ヒーロー』を皆さんに再注目していただき、私にとっては奇跡の一年になりました。このきっかけを作って下さったのはいろいろな方の力があると思うのですが、中でも一番のインパクトを与えてくださった、大阪府立登美丘高校ダンス部の皆さんとの受賞になりました。本当にありがとうございます」
と感謝されています。
荻野目洋子さんの再ブレイクの理由が、登美丘高校ダンス部の「バブリーダンス」にあったとは言え、
荻野目洋子さんのあまり飾らない親しみやすい性格も、再ブレイクした理由だと思います。
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