落語家の落語家の月亭可朝(本名・鈴木傑=すずき・まさる)さんが
3月28日に急性肺腺維症のために兵庫県内の病院で亡くなりました。
死因は急性肺腺維症で兵庫県内の病院で亡くなったことが9日判明しました。
最近は、月亭可朝さんの年齢もあってかテレビでお目に掛かることはありませんでした。
最大のヒットは?
弟子の月亭八方に梅田にギターを買いに行かせて
その場に合わせた歌(会場は箕面市のプール)を
即興で作った「嘆きのボイン」が大ヒット!
芸人が歌を歌う先駆けになります。
「嘆きのボイン」は1969年12月発売され、
80万枚の大ヒットをとばし「ボインやでぇ」のフレーズは流行語にもなりました。
その後テレビにも良く出演し人気者となりますが、
破天荒なハチャメチャな行いも多く世間から批判を浴びることも多くなります。
破天荒でハチャメチャなエピソード
小米朝時代、まだ幼い師匠の息子を平日午後に預かったとき、千日前の大劇アルバイトサロンに連れて行ったという。これは閑散期である平日日中に入場したため安く飲食できたことと、子供を連れてくることでホステス達のウケも良く、また店より玩具を貰える(=玩具代が浮く)ことがその理由
吉本時代、後輩芸人が「ギャラが安い」とぼやいたので、吉本興業に掛け合いギャラのつり上げ交渉を行った。曰く「ワイは日本の月亭可朝や。」これに対して吉本側は「日本の月亭可朝ならば、他所でも通用するでしょう。どうぞ他所へ移って貰って結構です。」と突き返した。これには可朝も完敗し、「このまま吉本に居させて貰った方が。」と譲歩。結局交渉前よりギャラが下げられた。
借金とワンセットで語られることの多い「スッポンメガネ」である。赤字→借金になったのは、国鉄のキヨスクでの発売が内定していたが、売価に関して国鉄(鉄道弘済会)側が難色を示し話がご破算になり、全国のキオスクに出すためにあらかじめ大量に生産したメガネがダブついたのが原因である。
2008年8月12日、元交際相手の50代の女性へ繰り返し電話をかけたことなどがストーカー行為にあたるとして、ストーカー規制法違反の容疑で逮捕された。
ストーカー事件で罰金30万円の略式命令を受け納付。マスコミの囲み取材を受けた際、可朝は記者から求められて『嘆きのボイン』の節に乗せ「可朝は7年間不倫してきてその結果?警察に御用やで?」と替え歌を歌った。「不謹慎」「反省の色が無い」とマスコミからバッシングされた。
京都の旅館で中田ボタンらとトランプ賭博に興じていたところを警察に踏み込まれたが、咄嗟にトランプを裏返して「神経衰弱」に偽装し、事なきを得た。
エイプリルフールで「家が焼けてるねん」と言い続けていたら、自宅の仏壇の蝋燭が原因で本当に焼けてしまったことがある。しかもその仏壇は、ギャンブルで勝ったお金で買ったものだったという話をテレビで暴露されていた。
「ほんまにほんまでっせ」だけを言い続け、爆笑を取る。遂には、それしか言わず、高座を降りた。
しかもお客には大ウケだったという。
出前で注文したうどんを高座で食べて出番が終わったことがある。
実はギターを弾くことができず、調律は楽屋に居合わせた芸人に頼んでいる。
高座で寝転がり本当に寝てしまい、それだけで出番が終わったことがある。
無類の賭け事好きから、友人の立川談志をして「あいつの人生そのものが博奕だ。」や、「落語界の横山やすしだ。」と言わしめる
引用元:ウイキペディアより抜粋
引用元:http://8130.teacup.com/tact/bbs/415 より抜粋
まとめ
もう月亭可朝のような破天荒でハチャメチャな落語家は出てこないと思いますね。
その時代だから許された落語家だったのだと思います。
最後に月亭可朝さんのご冥福をお祈りしたいと思います。