安倍晋三さんといえば、現在第98代内閣総理大臣ですが、森友学園問題に端を発し現在は財務事務次官の福田淳一氏のセクハラ問題で急激に支持率を落とし、次回の総理戦での出馬は絶望的だと言われています。
福田氏のセクハラ問題については、「福田淳一事務次官辞任するもセクハラ否定!最悪はテレ朝幹部の行動!」の記事を参照してください。
今回は、そんな安倍晋三さんを政治家としてではなく、人間としての安倍晋三さんという観点から昭恵夫人と結婚する出会いや馴れ初め、また子供について迫って行きたいと思います。
安倍晋三のプロフィール
生年月日:1954年9月21日(63歳)
出身地:東京都新宿区
学歴:成蹊大学法学部政治学科卒業
南カリフォルニア大学政治学中退
1954年に当時毎日新聞記者の安倍晋太郎と妻洋子の次男として生れています。
父方の祖父は、衆議院議員の安倍寛、母方の祖父には後の岸信介元首相や大叔父に佐藤栄作元首相がいる政治家一族に生まれています。
大学時代は、アーチェリー部に属し、人付き合いも良く真面目な性格だったようです。
語学の勉強のため南カルフォルニア大学に語学留学をしています。
1979年に帰国し、神戸製鋼所に入社し社会人として歩み始めています。
政界へは、1982年に当時外務大臣を務めていた父・安倍晋太郎の秘書官を務めるようになったのが、政界入りのきっかけになりました。
安倍(旧姓:松永)昭恵のプロフィール
生年月日:1962年6月10日(55歳)
出身地:東京都
学歴:聖心女子専門学校
立教大学大学院
森永製菓創業者の家系で社長を務めた父松崎昭雄さんの長女として生まれました。
社会人としての一歩は、電通に入社したことから始まりました。
安倍晋三と昭恵夫人の出会いや馴れ初めは?
当時電通に勤めていた昭恵さんは、安倍さんの友人でもあった上司から紹介を受けます。
出会いは、原宿のパブだったそうですが、あまり乗り気ではなかった昭恵さんは、30分ほど遅れて到着したようです。
当然ながら、安倍さんは、ブスッとしたようで最初はお互いに気まずい雰囲気でした。
しかし会話してみると、意外にも話が弾み意気投合し、交際するきっかけになりました。
これが馴れ初めとなり、二人の交際がはじまり食事やゴルフで親密になったようです。
昭恵さんは、安倍さんの印象を「いい人だとは思ったけれど、政治家の家庭は大変そうであまり乗り気ではなかった」と言っています。
二人の交際が発覚したエピソードを紹介しておきます。
1984年に江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求する事件を皮切りに、森永製菓・丸大食品・ハウス食品などを脅迫して現金を要求したり、青酸入り菓子を店において消費者を不安に落としいれた自称「かい人21面相」が起こした事件で「グリコ森永事件」が起きていました。
「グリコ森永事件」の時は、昭恵さんも警備が付いたということですが、そこで安倍さんが昭恵さんとのデートで使った車のナンバーが調べられ安倍さんとの交際が発覚したようです。
余談ですが、その時の犯人「かい人21面相」は捕まることなく、事件は迷宮入りしています。
その後、交際は順調に進み、1987年6月9日にグランドプリンス新高輪で結婚式が行われました。
安倍さんの父晋太郎さんが、自民党幹事長に就任し時期総理の呼び声も高く、また昭恵さんが森永製菓の令嬢ということもあり式は、盛大に行われたようです。
安倍晋三と昭恵夫人の間に子供はいるのか?
当初は、子供は自然にできるだろうと思っていた昭恵さんでしたが、後に子供のできにくい体質であることが分かったようです。
夫婦で不妊治療を受けたようですが、結局子供はできずじまいだったようです。
当時、昭恵夫人は心もとない支援者から非難され、傷つくこともあったと告白しています。
一時は、養子縁組も考えたようですが、昭恵夫人が子育てする自身がないということでこの件は、中止されたようです。
この時、昭恵夫人は子供がいなくても自分が政治家の妻としてできることをやろうと決心されたようです。
現在では、子供のいない夫婦も一般的になり子供を産まないことを選択する女性も増え、社会的にも認知される風潮が出来つつあります。
でも当時は、結婚したら後継ぎを産まなければいけないという考えが強かったようです。
まとめ
今回は、「安倍晋三と昭恵夫人に子供はいるの?結婚の出会いや馴れ初めは?」というテーマで書いてみました。
昭恵さんも森友学園問題で大変な時期だと思いますが、夫婦仲が壊れないように仲良くしてもらいたいと思います。